バキマイストーリー

自分の人生を振り返りながら、苦しかった事、辛かった事、嬉しかった事と向き合って綴って行きたいです。

初めての迷子と母の涙。

母と父の間でどの様なやり取りがあったかはよく分からない、

来月実家に帰るから今度父から聞いてみようかなと思う。

ただ今現在で知る限り離婚した父は母と東京で籍を入れて俺を養子縁組として迎えたと聞いている(書類も見た事あるので間違いはない

時系列はよくわからないのだけれど、

その後は福岡で暮らして居た様だ。

幼稚園に上がるまでは福岡で暮らして居たと言う、その時の記憶も微かにある。

母とある日デパートに出かけた時の事だ、母が言うには俺は本当に手が掛かる子だったらしい、欲しいものが手に入らないと手に入るまで泣き喚いている。(そこら辺は少し自覚がある。汗

その日は泣けど喚けど一向にオモチャを買ってくれなかった母(写真を見てもらえれば分かるけどオモチャが沢山あるのが分かる)俺は何を思ってか構ってくれない母の目を盗み欲しいオモチャ持ってデパートを降りて行った。その瞬間お巡りさんに声を掛けられたのを覚えてる

👮『僕?お母さんは?』

👶『マーミー!!』泣き出す自分

(母の事を英語圏から来るmommyのマミーをマーミ呼ぶ、ちなみに父の事はdaddyのダディと未だに2人の事を呼んでいる)

👮『お母さん向こうにいるから一緒に行こうか』

それを信じて交番について行った記憶がある。しかし交番の奥に母の姿はなく嘘だと言う事に余計に泣いてしまったのを覚えている。

そこから泣き疲れたのか記憶がない…気がつくと夕方前ごろだったか外は真っ赤な夕焼けだった事は覚えている、母の大きな声で目覚めた。

👩「バキ!!!」母は強く俺を抱きしめてくれた。

あの時の母の心配して泣いていた顔を今でも忘れない、思い出すと今も泣けてくる程だ。

バキと言う名はもちろんハンドルネームである。実の名前はクリスチャンネームから来ている。母の恩師が付けてくれた名前だそうだ、その加護のお陰で俺は死なずに生きてこられたのかもしれない。

この話を母にすると福岡にいた時だと言う、おそらく3歳になる前の記憶にも関わらず未だ鮮明に覚えている。

もう一つ覚えている福岡での記憶がある、長靴を履いて積雪の上を歩いている記憶だ。福岡でこんなに雪が積もっていた事はあったのだろうか?21世紀以降は5センチ以上の積雪は観測されていない様だが福岡でも地域にもよるそうだ。

少し記憶を辿ると、誰か知り合いの家に行った覚えがあり、その家の庭に積もった雪だったと思う、大きなゴールデンレトリバーと庭で戯れていたのを覚えてる🐶

幼心の僕が母を泣かせたくないと思う様になったのはこの時からだった気がする。

でも人生は思う様に行かない、それから先も何度も迷子になったり問題を起こしたりで母を泣かせてしまうのだから、