バキマイストーリー

自分の人生を振り返りながら、苦しかった事、辛かった事、嬉しかった事と向き合って綴って行きたいです。

名古屋と聖なる夜。

はしがき)子供の頃の記憶を辿ると走馬灯の様、本当はあの時もっと多くの事を思い感じていただろう、伝えたい事も沢山ある筈なのにあの頃の自分にはその力がなかった。

だからこそ、こうやって過去自分に何が起きていたのかを振り返る作業をしてあげたい、どこに幸せを感じていたのか、何が苦しくて辛かったのかを…そしてあの頃の自分を抱きしめて『よく頑張ったね、偉い偉い』と言ってあげたい。

 

気がつくと父の仕事の関係で福岡から名古屋に引っ越す事になる。

3歳になり入園したのは幼稚園だった、その頃になると記憶は割と多く残っている。

幼稚園バスでの送り迎え、お寺でのお泊まり、みんなでやる出し物、警察消防の交流、延長保育組のハーモニカ練習、クリスマスの夜に見た奇跡、卒園式。

父の仕事は一戸建てをオーダーメイドで売ると言うのを仲間内で自営していたと思う。

バブル時代1986年の手前である、恐らく父はビジネスチャンスだと思いこの事業を始めたのだと思う。

俺はURマンションに父と母と3人で暮らしていた、この頃は毎日笑顔が絶えず、父のことも母の事も大好きだったと思う。

朝が弱かった俺はいつも寝坊し幼稚園バスに乗れた記憶があまりない、母の自転車で送り届けてもらう事が多かった記憶がある。

そして俺は超が付くほどのママスボーイ(マザコン)だった。いつも母の後ろに隠れて自分の意見を他人に言える勇気はなかった、母はそんな俺を守る様に何時も気持ちを代弁してくれていた。それに甘んじて自分の意見をどんどん持たなくなっていったんだと思う。

なので、幼稚園で友達と呼べる子や先生の記憶が全くない。母の存在がない園に安心できる場所がなかなか見つけられなかったんだと思う、

そんな幼稚園時代の1番の思い出は、園とは全く関係なく家でクリスマスをした夜の事だった。

気が付いたら眠ってしまっていた俺を義父が起こしてくれて『サンタさんが来てプレゼントを置いて行ったよ』と大きな袋を俺にくれた、袋を開けると戦車のプラモデル(銃を構えた数人の小さな兵隊模型人形付き)だったのを覚えている。(この時から父が俺に与えるモノに違和感を感じる様になる)そのプレゼントを嬉しく感じられなかったが喜ばないと2人が悲しんだり怒られたりするんじゃないかと子供心に思った。

母が『もうサンタさん行っちゃったわよ』と玄関の方に目を向けて言うものだから、すぐに玄関を出て渡り廊下から空を見た。そしたらそこには一筋の流れ星が見えたのだ!

『マーミ!ダーディ!サンタさんが飛んで行ったよ!』

と興奮した様に伝えると2人とも顔を見合わせて笑っていた、僕がキョトンとしていると母と義父が優しく抱きしめてくれた気がする。

卒園式

の記憶は最後の方しか覚えていない、、そして他の園児や先生の顔も誰1人覚えていない。覚えているのは流れていた曲『思い出のアルバム』だ。

♪『いつの、ことだか、思い出してごらん、あんなこと、こんなこと、あったでしょ。』

この曲を聴いて何故だか泣きそうなのを堪え母を探し回ったが見当たらない…こんなに悲しいのに、みんなの前で1人で泣くのが恥ずかしかった。

正門を出ようとした時に母を見つけ、直ぐに母の足元にしがみ付き顔を埋め大きな声で泣いた。

一体自分は何が悲しくて泣いていたのか、今になっても分からないけれど、きっと周りの子達が泣いていたりしているのを見て曲を聴いて情景に流されたのだと思う。

そういう所は今も変わらないのである。

後書き)幼稚園又は保育園を皆さんは覚えていますか?僕は本当に覚えている事が少なくて、今になって振り返ると寂しさすら感じる。世界は家と母が全てで、その小さな世界から出る事が怖くて仕方がなかった、もっと今みたいに沢山の事を知って多くの人と話したかった。

今はそれが出来る事に感謝したいと思う。

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