バキマイストーリー

自分の人生を振り返りながら、苦しかった事、辛かった事、嬉しかった事と向き合って綴って行きたいです。

6年生〜初めての精通。

6年生になると僕の家では色々なことが同時に起きていたと思う。

1991〜1993年この頃日本ではバブルの崩壊が始まっていて、父のやっているマイホーム販売は大不況の煽りを受けていた、

同時に母も独立してママとして囲碁スナックを経営していたが客足は減って行った。

女性を家に連れ込んで俺の部屋で同棲していた義兄は妊娠させていたし、

みんながみんな大変で家の中はギスギスしていたから僕は益々家に帰るのが嫌なった。

母も外で歳下の彼氏(店のお客様)を作り家にあまり帰ってこなくなった、そうすると父の体罰はより強くなる。

この頃あまり学校へも行かなくなっていたけど、学校から先生や友人が電話があり渋々行ったりもしていた。

ほぼ毎日のように、海堂の性処理をしながら21時ごろに家へ帰るが家では義兄と女が居るのでバツの悪い思いをするのが嫌だった。

週末になれば皆んなで泊まれる友達の家に行って朝までゲームをしながら過ごして生き抜いていた。

気がつくと、

出産を迎えたのか、義兄と女性は家を出て何処かで暮らしだしたらしい(恐らく小5の時に孕っていたのだろう)

再び、1人で部屋を使えるようになった。

家は、ほぼもぬけの空だった。その為、母の部屋にあるエロ本や大人のおもちゃを使って自慰行為をする様になった。

母はスナックで働いている為、多くのネタ道具をたくさん持っていた。ペニスの形をしたオブジェクトや女性器を模したグッズ、ピンクローターやら沢山なものが棚に飾ってあったり、引き出しの中に閉まってあったりした。

中でも無修正の海外のエロ本が僕にとってはとても刺激的だったのを覚えている(特に男の物凄くデカいペニス)しかし、そのモノの位置がズレたりしたらバレるんじゃないかとか、急に帰ってくる事もあるし、父がいる日もあるので、そんなしょっちゅうは利用できなかった。

とある日、

僕はいつも通り自分の部屋で自慰行為をしていた、小学生の僕のペニスはまだ剥けてなくてやり方は枕に擦り付けたり、指で裏筋だけを激しく擦ったり、お風呂で強い水流を当てたり、掃除機で吸って振動を作り出したり、ローターを当てたりしてやっていた。

オナニーの仕方なんて誰からも教わらなかったし、海堂はいつも俺のお尻で素股をする様な形で擦っていたし、、僕のペニスは剥けていないから、握って上下に扱こうとすると皮が引っ張られて少し痛かったので怖くて出来なかった。

その日は指で裏筋を擦ってオーガズムまで行こうとした、、そしたら何か奥から熱く込み上げてくる感覚に襲われたのだ。

僕は直ぐにトイレへ移動してそれを続けた。

そしたらオーガズムと同時に精子が出たんだ。

それが僕の初めての精通だったと思う。

海堂はとっくに来ていた気がするので、、3月生まれの僕が少し遅かっただけなのかもしれない、

でも僕は一度たりとも海堂の前や他人の前で精子を出した事はなかった。

物凄く恥ずかしい事をしていると思っていたし、

男同士でそう言う行為をする事に周囲と自分は何か違うと思っていたんだ。

そんな事を誰にも言えずにずっと1人で抱えて子供の頃を過ごしていた。