バキマイストーリー

自分の人生を振り返りながら、苦しかった事、辛かった事、嬉しかった事と向き合って綴って行きたいです。

夢見る子供達と多くの挫折(前編

人間は歳と共に自尊心が落ちて行く生き物だと聞いた事がある。

子供の頃は誰もが夢を見る。

宇宙飛行士、スポーツ選手、芸能人、消防士たくさんあるとは思う。

だけどその夢を叶えられる人間は一握りだろう。

ちなみに僕は小学校の卒業アルバムを見ると『ホテルのオーナーになりたい』と書いてあった😅

記憶を辿ると当時アニメで見ていた“21エモン”宇宙パイロットを夢見るホテルの跡取り息子のドタバタ系アニメなんだけど、

きっとこの頃から色んな人との出会いや接客を夢見ていたんだと思う。

俺のその後の未来は又改めて語る事になるけれど、世界各地から訪れるお客様を接客する事になるから、ホテルオーナーではないものの半分くらいは夢を叶えられていたのかも知れない。

さて、前回のブログでも少し述べたけれど、

俺は授業態度がとても悪く学力は全く評価されなかった、たまに良くて体育、音楽、図工、家庭科が2か3有れば良い方だった。

だから尚更勉強なんてしなくなっていったし同時にこの頃、家では義兄が女を作り妊娠させて俺の部屋に2人でどっぷりと住む様になり、勉強出来る環境すら整っていなかったから尚更しなくなっていった。

とにかく家にいるのが嫌で21時ごろまでは海堂といつも公園や何処かで遊んでいた(きっと彼も家にいたくなかったんだと思う、そんな家庭の悩みをお互い話す事もなく性で誤魔化し合ってた。

だけど部活動だけは違った。

運動会で一位を取れば注目されるし走れば大人達が才能を認めてくれた。

俺が初めてやったスポーツは野球だった。しかし顧問があの石野だ【深まる謀略〜参照】

運動の才能があった俺でもチームプレイはとても苦手だった。野球は特に攻守あって、打って走って、盗塁するのは凄く得意だったけど、守備に関してはホント駄目で、ゴロやフライが全然上手くならず、顔や股間にボールが当たる度に痛み対して恐怖心しか出て来なかった、まして顧問の石野に出来ない事を責められると尚更に自尊心はズタズタになって行ったから続けられる自信がなくなり自然とフェードアウトした。

次はサッカー部だった。

野球が足に変わっただけでドリブルしながらボールを保ってゴールに向かうのが凄く難しい、僕には出来なかったけどキーパーとして瞬発力でボールを目で追いゴールから守るのが楽しかった。

しかし試合の前日、スタメンのはずだった僕は自転車で転び大怪我をしてしまい補欠にその座を譲る事になった。

わざとではないのにも関わらずメンバー達からは逃げた等と言われたり、ばつが悪くなり続けられなくなった気がする。

小学生の多感な時期に運動部の中で多くの挫折を味わってきた。

そして最後に残ったのが走る事だけでも認めてもらえる陸上部だった、もう残された運動部が俺には陸上しかなくて始めたものの僕は50メートルなら誰にも負けなかったけど陸上選手(スプリンターになる為には最低100Mを10秒台で走らなければ活躍ができない、、残念な事に僕は11秒を切る事がなかなか出来なかった。

それを見越した顧問の先生は、僕を跳躍の選手に進めたのだ。

走り幅跳びか高跳びだった。

そこで僕は走り高跳びを選んだんだ。

後編へ続く、