バキマイストーリー

自分の人生を振り返りながら、苦しかった事、辛かった事、嬉しかった事と向き合って綴って行きたいです。

転入生〜憤怒と解離。

5年生になり、僕は益々わんぱく盛りになって行く、

この頃には、夜寂しくて母の布団に潜り込む事は無くなったしオネショもしなくなって行った。

それでも3月生まれの僕は、発育が周りより遅く若干背も低い方だった。

そうそう、この時期海堂が何故だか少女雑誌である“りぼん”をよく読んでいて、その影響で俺は“なかよし”にハマっていたものだ。

でも男子達にそれがバレたら虐められると思ってひた隠しにしていたね、そこからアニメのセーラームーンが大好きになって毎週VHSで録画していたし初めてCDを買った気がする。

ここから俺の女性主人公アニメも好きになって行ったなぁ〜もちろんドラゴンボールの様なアニメも大好きだったのだけど。

美少女戦士!セーラームーン!月に変わってお仕置きよ!ってのはホント少年アニメとはまた違ったカッコ良さがあった。(この頃から女性の社会進出を象徴させていたのかも知れない)

部活動では主に陸上部に全力を注いでいた、

こんな問題児扱いされていた俺でも活躍の場を感じられたのはそこだけだった気がする。

どれだけ頑張っても態度が悪い僕の通知表は、ほぼオール1とかの評価だったからテストや勉強なんて益々しなくなって行ったし(こんな紙切れで評価されるシステムが子供の頃から納得行かなかった)

だけど運動だけは違った。

1番を取れば誰もが認めてくれるし頑張れる気がしたんだ。

機会があれば又、その話もして行きたいと思う。

本題に戻る。

5年生に進級し久々に海堂以来の転入生が隣クラスに来た様だ。

彼の名前は高田で育ちが良さそうな顔をしている鼻が高く少しインテリで(アニメのドラえもんで言う所のスネ夫の様な奴だ)スネ夫よりはルックスが良い男ではあるものの兎に角、俺からしたら鼻にかかる印象だった。

彼はマンション住みだがとても金持ちらしく上下階の2戸を1戸にリノベーションしている家だった。

彼は空手をやっている様で喧嘩も強い奴だと噂も有り少し警戒したりもしていた、

その時期、俺も斎藤【初恋は友愛?〜参照】の通う少林寺拳法に通って居た(あまり長続きはしなかったけれど)

そんな高田は直ぐに斎藤のグループ、すなわち俺の所属してる仲間内に入る事になった。

何やら出会った頃から俺と馬が合わない高田と、ある日曜日の学級開放日に校内で衝突する事になる。

※俺の視点だけしか語れないのでうろ覚えなのと暴力的な表現があるので気分を害してしまったら申し訳ないので先に申し上げます。

それは斎藤と高田に俺含む他に2〜3人いたと思う。

グラウンド横の日に当たらない遊具置き場での出来事だった。

そこでみんなで休んでいた、ヒエラルキーの様な力の強さの序列がそこには確かに合った。斎藤は山積みに置いてある木のザルの頂点で座って居て、俺はその少し下に居た(まるで猿山の猿たちの様な光景だった気がする)

そしたら突然、高田が『どけよ!』と言って突き飛ばしてきた。

俺は引くに引けなかった、ここでどいてしまったら俺の序列が高田より低くなるし、自分が築いてきた地位が脅かされると思ったんだと思う。

この頃、喧嘩なんてしょっちゅうしていたし(砂場でバトルロワイヤルなるものもやって必死に闘ってきた)俺からふっかける事は先ずないのだけど、基本痛いのが大嫌いなので避けられる争いは避けたかった、だから強いぞ!と言うその瞬間だけ見せつけられれば良かったんだ。本当は人を叩きたくないし、叩かれるのも真平ごめんだった。

俺を突き飛ばした高田は斎藤に向かってこう言った『コイツ、やっちゃって良い?』

(俺はすごく怖かった、やめて、やめてよ、斎藤、ダメって言って欲しいと頭の中で思うも、そうはならなかった)

斎藤は『良いよ』とだけ言った、その瞬間に高田が俺に殴りかかって来た。(この時程、斎藤を恨んだ事はない。

それは3年生の頃に身についた方法【義理の兄と秘密の友情〜参照】俺は良いか悪いか必ず人との距離を取る、だから取っ組み合いの喧嘩も嫌いだった、引っ掻かれたり、つねられたり、髪の毛を引っ張られたりと、とても痛いから。

でも、やはり空手をやっているだけあって高田も俺との距離を詰めてくる。あゝやっぱり、、取っ組み合いになってしまった。

(痛い、痛いよ、こんな事は早く終わらせなきゃ、)

その瞬間、俺は高田をトンボや箒が置いてある用具ロッカーに押し倒し追い詰めた、道具を薙ぎ倒す様に倒れ込んだ彼の横に散乱した一つのトンボを引っ張り高田の首をそれで上から軽く絞めた。(そうすれば動けなくなるだろうと思った)

しかし、高田は俺の左手に噛み付いてきた。

その痛みで俺は更に防衛本能が騒ぎ左手でトンボで絞めながら右手で奴の頭を髪の根本から掴みコンクリートに1発叩きつけた。

そして俺は泣きながらこう言った。

『謝れ!早く謝れ!』何度も奴の顔を叩きつけながら鼻血を流していた気がする。でも止められなかったんだ。、ここで離したら又、自分が痛い思いをすると思ったから、謝ってもうしないって言ってくれたらそれで終わる筈なのに、

周りにいた友達は誰も止めに入ってこなかった。

そのうち高田は動かなくなった気がするが、俺はトンボから力を抜くことは無かった…気がつくと用務員の叔父さんが俺を高田から引き離した気がする。

そこからは記憶がない。

あの時の俺は、ただ怖かったんだ。そんなことがしたい訳じゃ無かったし、止めて欲しかったし、、言い訳をしてもしてしまった事はどうにもならない。、

この事件をキッカケに俺は高田と卒業するまでギクシャクする様になったし、相手の親はもちろん俺を許さなかったと思う。(それもそうだ、、子供の喧嘩の域を超えていると思うし、下手したら殺していたのだから)

俺はこの件で更に問題児として先生や周りの人間に深い傷を与えると同時に、自分の中でも書いていて未だに胸が抉られる思いだから、

この時の担任だった5年生6年生を見てくれていた女性の天野先生は卒業式に1人1人に言葉をくれた。

彼女が俺に与えた言葉は呪いの様に感じた。

俺の顔に両の手を添えて彼女はこう言った『いい?貴方はどんな事があってもキレては駄目!分かった?!』俺は泣きながらコクンとだけ頷いた。

それは、俺にとって救いの言葉になったのかも知れないけど、大好きだった天野先生にはわかって欲しかったと言う、期待を裏切られた気持ちも同時に感じた。

俺は相変わらず自分の事を説明出来ない子供だった。

本当はこう思って、こう感じて居たんだよ、って今なら思える事が、あの頃には沢山あったにも関わらず何一つ説明できる力がなかった。

この現象を今振り返ると俺は痛みを感じると、直ぐに痛みをどこかに飛ばす癖が付いていた、それは解離という現象で虐待等で心や身体に強い痛みを幼少期に感じると自分で引き受けられない事から起きてしまう現象だと知った。

解離治療の話

時折バキって天然だよねって言われる事があった。天然な人は、実は子供の頃に強いストレスを感じていた人にしばしば現れる様だ。個性とも捉えられる場合もあるが、

解離性障害、解離性健忘とも言われる。

でもある程度、安心できる環境でトラウマ治療をすれば緩和されると知った。

自分の話してこなかった部分を人に話して行く事で自分に何が起きていたか、少しずつ知る事で乖離していた部分を補う事が出来るんだと。

それはとても怖い作業だし、本当にそれが真実なのかも分からない。自分自身で変えてしまって騙してしまう病気だから、

それでも話す事が良いとされている。だから、このブログを通して自分自身の治療にもなれば良いと思っている。

2022年2月から初めたこのトラウマ治療は始めた頃はグループの中で俺は毎日の様に途中でフラッシュバックして泣いてしまい話せなくなる日々が続いた、

それでも諦めず語ってきた。

出来る時は話す、ダメなら休む。

それはこのブログと同じ思いだ。

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。

次回は部活の思い出を語ろうと思う。